リレーインタビュー【保存版】

【第7回】徳之島病院 末満純一院長

2022.11.11

心温まる島で患者さんに寄り添って20余年

―今年11月、徳之島病院は開設50周年を迎えます。2月には院長就任から丸20年となりました。節目の年にあたって思うこと、印象に残る出来事をお聞かせください。

病院開設50周年を祝って、今年7月7日の「徳之島病院夏祭り」で初めて打ち上げ花火を揚げました。きれいでしたよ。患者さんも地域の方々もとても喜んでくださって、いい記念になりました。

この20年間に、多くの患者さんと出会い、気性の激しい方もたくさん診てきましたが、昔と比べて患者さんの気風が穏やかになった印象があります。徳之島病院の医療圏には沖永良部島、与論島も含まれます。今は法律上できないことですが、以前はどうしても病院に連れて来られないという他島の患者さんを職員数名と迎えに行っていました。一日一便しかない船に揺られること数時間、病院にたどり着くまで、とにかく事故がないように、ないように、と気を遣ったものです。そんな時代があったことが、島ならではの思い出です。


―鹿児島市の出身。徳之島在住は、鹿児島大学医学部から出向した時期を含め通算23年を数えます。当地への〝郷土愛〟も深まっているのではないでしょうか。

学生時代にへき地研修で離島医療を経験し、もともと島は好きでした。島に遊びに行くと、地元の方々が「いらっしゃい」でなく「お帰り」と言って迎えてくれるところも気に入りました。今では「お帰り」と言う立場になってしまいましたが…。

「医療に離島はない」と考えています。本土でも島でも日本のどこにいても同じレベルの医療を受けられるべきで、私たちはそれを提供する義務があります。徳之島全体で医師は10数人。人数不足は否めませんが、病院や診療科の枠をこえて横のつながりがしっかりとでき、コンタクトが取れています。徳之島の良さに共感し、一緒に地域密着の医療に取り組む若い医師が増えることを期待しています。


―精神科医を目指したきっかけを教えて下さい。

幼少時に病気がちで、医師にあこがれたのが最初です。ところが高校の担任に医学部は無理だと言われて諦め、九州大学理学部生物学科に進学しました。アメーバなどの行動理論に興味がわき、そのためには「確率論」が必要だと担当教授に言われ、確率論を勉強し始めたのですが、行動理論にたどり着く前に卒業を迎えてしまいました。大学卒業と同時に、もう一度医学部にチャレンジしようという気になり、3年間の浪人生活の後、念願かなって熊本大学医学部に入学しました。理学部時代に行動理論をやりたかった延長で、人の行動を見よう、人間全体を見ようと思い、そのためには精神科しかないと考えて、最初から精神科を専攻すると決めていました。


―思い望んでいた「行動理論」にたどり着けたでしょうか。

いや、人間は複雑です。永久に解明できませんね。


―病院スタッフ150人を束ねる院長として、また、臨床の場での一医師として、大切にしていることを教えて下さい。

徳之島病院のアットホームな雰囲気は誇りに思います。どこにもない良さです。自他ともに認めるおおらかな性分で、日ごろ積極的にスタッフとコミュニケーションを取りますが、業務の上の馴れ合いがあってはいけません。メリハリをしっかりとつけるように心掛けています。一人ひとりに声を掛け、あいさつを交わすことを大切に、また職員からも気軽に声を掛けられる院長でありたいと思っています。

座右の銘は「弱者への無限の同情 これを医道と云ふ」。文化勲章受章者の久野 寧(くの・やす)先生(生理学者、1882 - 1977年)の言葉です。いつも患者さんのそばに、常に患者さんの利益になるように、と考えています。