リレーインタビュー【保存版】

【第8回】高麗町クリニック 下本地優院長

2022.11.11

「ありがとう」への覚悟~生活背景の理解と信頼関係~

―往診の定番スタイルはチャップリンハット。愛用のきっかけを教えて下さい。

これをかぶっていくと場が和みます。こんな帽子で往診する医者、ほかにいないでしょ。深刻な病状の患者さんを訪ねる場合は別として、皆さんが親近感を持ってくださる糸口になれば、と思っています。元々帽子をかぶる習慣があったわけではありません。今年の父の日に家族からプレゼントされて、愛用し始めました。往診は毎日午後。夏場は強烈な日差しの中、出掛けるので、一層帽子が手放せなくなりました。


―高麗町クリニックを平成21年に立ち上げるまで、脳神経外科の勤務医一筋でした。「在宅医」に舵を切って、幾多の荒波にもまれたのではないでしょうか。

在宅療養支援の世界に飛び込んだのは、私の望む医療の形だと思ったことが一番の大きな理由。そして自分の性分にも合っていると思いました。

病院での医療は、ある到達点に達したら必ず次に受け渡す〝期間限定の医療〟です。外来で診る患者さんは、きちんと身なりを整えて、病院に出かけてこられた姿。いわばよそ行きの顔です。家に帰ってどう過ごすのか、あえて踏み込まない限り実際の生活は見えてきません。また、手術後の患者さんが、どういう療養に移っていくのか、自分たちが診た後にどんな状況が起きているのかも、把握しにくい。急性期病院に勤務する立場では、患者さんの病院外での姿を知るよしもないし、そこを理解しようという発想もない。それが不満足でした。患者さんを取り巻く環境への理解があって初めて、真の医療だと思うのです。訪問診療に興味を持っていたところ、慈愛会の今村理事長から在宅をやってみないかと声を掛けられ、自分がしたいことが見つかった気がして引き受けました。

6年前の開設当初は、すべてが困難でした。在宅療養支援という診療体系が、全く新しいカテゴリー。24時間365日対応という基本的な考え方に対し、どこでどう待機するか、往診をどんな形でするか、私一人でどこまでやればいいのか、どこまでスタッフに要求できてどこまで分け合えるのか、イメージは持っていたものの実現へのプロセスが分かりませんでした。往診の要否の線引きも、実は明確な基準がありません。慈愛会の既存のシステムの中にあてはめるのが難しく、運営を軌道に乗せるまで苦心続きでした。


―クリニックの基本方針に「患者様とご家族の状態、受診の理由はそれぞれ。対話を大切に、求めることに応える」と掲げています。在宅療養支援の現状をお聞かせください。

往診の要請は、通院が困難な患者さんだけではありません。受診が必要なのにどうしても病院に行かないと言い張って家族が困り、何とか診てもらいたいから往診を、という要請もあります。認知症の方など、そのパターンがよくあります。家族がたくさんの懸案を抱えていて、病院の行き帰りだけでへとへとになってしまう。往診に行ってみて、ああなるほど、これは往診が必要だったなと思うのが常。相談の理由はさまざまです。何に困っていて、病院に連れて行きたいのはなぜなのか、緊急なのか、なぜ往診を求めるのか、まず話を聞いてみます。抱える病気はさまざまですが、基本的にどんな病気も断りません。専門の医師、医療機関と連携を取って対応します。

往診には基本的に看護師2人と一緒に行きます。移動中、私は後部座席で電話対応やカルテの記入ができるので、このスタイルが理想的。患者さん宅に向かいながら救急車の手配もできます。定期的に訪問している患者さんは60人ほど。自宅だけでなく、介護施設などからの往診要請もあります。施設の看護師さん、ケアマネジャー、医療ソーシャルワーカー、患者さんに関わるさまざまな立場の方と話をして、あらゆる手を使って、患者さんを救う手立てを講じます。


―理想に近い医療を展開できているという実感をお持ちでしょうか。

やりがいを感じるのは、ご本人、関係者にとって、とても役に立つサービスをできたと思える瞬間。「ありがとう」の言葉が一番うれしいです。いろいろな場面で満足感は得られています。病院でその満足感をしょっちゅう得られるかというと、意外とそうでもない。圧倒的に今の立場の方が満足感を得られますが、圧倒的に仕事は大変です。

訪問診療は生活の場への介入なので、患者さん本人以外の事情も絡み単純にはいきません。生活の場に介入される側は、見せたくないところもたくさんあるはずです。下手な介入をすると「もう来ないでください」となってしまう。独り善がりにならないよう、おせっかいが過ぎないようにと、ものすごく気を付けます。

人間的なお付き合いが必要とされるのが訪問診療。信頼関係を育てることが重要です。どうしたいのか、どうしたらいいと思っているのか、とことん話をして、相談します。病名の診断がつけば、100点の治療法は決まっています。でもその治療をするかどうかは、年齢への配慮、認知症など、いろんな要素を踏まえて、ケースバイケースで考えなくてはなりません。この病気ならこの治療と決まった方法を取るのでなく、個々の患者さんに合う方法を工夫します。患者さんが「それがいい」と思ってくださること、ご家族がそれを評価し認めて下さること、そうして初めて「ありがとう」の言葉を頂けるのです。私は「ありがとう」と言ってもらえる覚悟を持って、訪問診療に臨んでいます。