リレーインタビュー【保存版】

【第4回】谷山病院 福迫剛院長

2022.11.11

「脳を若く保つ」ことの大切さ

―職員向けに常々「脳を若く保ってほしい」と呼び掛けています。言い換えると、どんなことでしょう。

考えの硬直化を防ぐことです。考え方も行動も、臨機応変に、という呼び掛けです。それは組織のあり方にもつながります。柔軟性、多様性を持った組織でないと生き残れない―そう思います。

―〝脳が年を取らない〟秘訣はありますか。 

最近、自分の脳が年を取った気がして(笑)、気を付けないといけません。いろんな意見、考え方に耳を傾けるように、周りとよく意見を交わすように、と思っています。


―精神科医を目指したきっかけを教えて下さい。

鹿児島大学医学部を卒業後に、脳神経外科や救急部など5つほどの科で迷いました。精神科の門をたたいたのは、一番時間に余裕がありそうだったから。4学年上の兄が精神科に入局していた影響もあります。鹿児島大学の精神科に入局して2年目に、理解ある先輩の厚意で、救急部に一年間在籍させてもらいました。重症の患者さんを目の当たりにし、多くの症例を経験できましたが、一生この道を歩むのは自分には向かないと思い、また精神科に戻りました。


―谷山病院に院長として着任したのが2000年1月1日。この15年を振り返っての所感を。

病院の現場で最も感じるのは、患者さんやご家族の要求のレベルが高まったこと。診療の側面でも、接遇や療養環境の面でもそうです。それに伴って格段に忙しくなった気がします。鹿児島県は精神科病床数が全国一、在院日数の長さも指摘されますが、当院が自慢できるのは平均在院日数の短縮化です。平成14年度の690日(全国平均364日)が24年度は211日(全国平均292日)にまで短縮できました。全国平均の倍近かった平均在院日数が、10年来の努力で全国平均を下回るまでになりました。長期の入院患者さんの在宅移行と地域定着の支援には、今後も力を入れていきます。


―院長として病院の建て替えも経験されました。斬新な外観と「病院らしくない」と評される明るいゆとりある設計が、いくつもの建築関連の表彰を受けました。

患者さんにとっても働く自分たちにとってもよりよい環境を、という視点を大事にしました。病院職員のみんなと意見を出し合い、3社の設計案を投票にかけました。上位2社の決選投票となり、よりコスト高の設計案が採択されたのですが、いい選択だったと思います。


―職員向けに常々「脳を若く保ってほしい」と呼び掛けています。言い換えると、どんなことでしょう。

なかなか症状が改善しにくかった患者さんが治ると「治療してよかった」とうれしさを感じます。治療が難航した患者さんのことは何年経っても記憶に深く刻まれています。今は、患者さんを診ることが仕事になっていますが、将来、趣味で診られる日が来ることを望んでいます。谷山病院は365日24時間の精神科救急医療体制をとっており、私自身、月5~6回当直勤務に就きます。医師不足という側面は否めませんが、患者さんを受け持ち、仕事をきっちりとこなしながら、ワークライフバランスを大切にしなくては、と思っています。


―オフの過ごし方、仕事を離れての楽しみがあったら教えて下さい。

よく本を読みます。手に取りやすい文庫本の小説、ジャンルとしてはミステリーやサスペンスが多いかな。妻が読んで気に入った本の中から、気分転換になりそうなものを選んで、勧めてくれます。読みながらその場面が頭に浮かんでくるのが好きです。印象に残った場面の建物などをグーグルで検索したり、出張の機会に尋ねてみたりもします。実際に目で見て、ストーリー展開を思い返すと、小説の世界に入り込んだような気分になれます。

大学時代はサーフィンに夢中になり、週末はよく照島海岸に通いました。友人同士、早朝に集まって恋ヶ浦まで足を延ばしたこともしばしば。もう長く波乗りから遠ざかっていますが、ボードは手放せません。思い入れも深く、大切に保管しています。医師となって3年目、宮崎の病院で勤務した際にはダイビングやカートレーシングの面白さに目覚め、その翌年、徳之島病院に派遣された際もダイビングを楽しみました。アウトドアを満喫した20代でした。


―座右の銘は。

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」「備えあれば憂いなし」。この2つです。高校生のころから、そう思っていました。仕事にしても、それ以外のことでも、もちろん、院長として病院経営に関しても、この2つを常に念頭に置いています。

未だに迷える子未(こひつじ)です